大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)4011号 判決 1962年11月09日
堺市尾本町一六七五番地住宅公団向ヶ丘第一六号館一一〇号室
原告 吉田登
右訴訟代理人弁護士 東中光雄
同 小牧英夫
同 上田稔
同 松本健男
大阪市東区大手前之町
被告 大阪府
右代表者知事 左藤義詮
右訴訟代理人弁護士 道工隆三
同 長義孝
同 木村保男
右当事者間の昭和三五年(ワ)第四〇一一号国家賠償請求事件につき当該裁判所は次のとおり判決する。
主文
被告は原告に対し金七〇一七六円及びこれに対する昭和三五年一〇月一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の其の余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを四分しその一を原告のその余を被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二二五、〇九九円並びにこれに対する本件訴状送達の日の翌日より完済まで年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として、
一、原告は旭タクシー株式会社所属のタクシー運転手であつたが、昭和三五年四月二九日午後一一時三〇分頃、自動車を運転して大阪市南区日本橋一丁目交叉点の横断歩道停止線手前附近を徐行進行中、その場を通りかかつた訴外上村卯三郎と些細なことから口論となり、車から降りて軌道安全地帯附近で同人と口論中、たまたまパトカー一一二号車の乗務員として現場に居合せた被告大阪府警察本部警ら二課所属巡査斎藤清丸が突然後方より原告の肩を掴んで引き戻し、胸倉を掴み、腰を掴むと、あつという間にいわゆる岩石おとしの方法で原告を頭を下にして投げ飛ばし、よつて原告の顔面部を軌道安全地帯の角に打ちつけ、原告に対し昭和三五年八月一八日現在においてなお頭部外傷後遺症を残す強度の頭部挫創並びに治療約一〇日間を要する右上膊部打撲傷、右肘関節部挫傷、左足部挫傷、右肩胛部打撲傷を負わせ、更に原告の右手をねぢりあげて両手に後手錠をかけて逮捕し、そのまま、同市南区長堀橋筋二丁目一六番地原田病院に連行し、同院において一応の外傷の手当のみ受けさせた上、更に南警察署へ連行した。
二、右斎藤巡査は、右行為時において、被告の公権力の行使にあたる公務員として警ら職務を行つていたものである。然して本件の如く道路上において口論が起つたような場合、警察官としてはまず双方の意見を聴いた上、紛争を未然に防止することがその責務でなければならない(警察法二条)。然るに本件において斎藤巡査は前記のとおり職務質問等の手段を全然とらず全く一方的に原告に対し前記のごとく故意に暴行を加え、且つ逮捕の要件が全くないのに原告に後手錠をかけるという方法で不法逮捕を敢えてした。これらは、右斉藤巡査の故意による犯行であり、適法な職務執行の範囲を著しく逸脱し(警職法五条)、明らかに特別公務員暴行陵虐致傷罪並びに同職権濫用罪の成立する場合であり、悪質な不法行為である。
仮りに右斎藤巡査に故意が認められないとしても、警察官はその職務執行に当つては国民の基本的人権を不当に侵害することのないよう万全の注意を払わなければならない注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、前記のとおりの傷害を加えたことは過失による不法行為というほかなく、いずれにせよ、被告は、原告に対し、原告が右傷害等により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
三、原告が右斎藤巡査の行為により蒙つた損害は次のとおりである。
(1) 原告は前記旭タクシー株式会社の従業員として本件受傷当時一ヶ月平均三〇、六一八円の賃金を得ていたところ、本件負傷のため、昭和三五年四月三〇日より同年六月末日迄治療静養のため会社を欠勤、七月初旬より勤務についたが本件負傷による頭痛等の症状により重労働である運転の継続勤務に堪えられず、同年九月中旬迄は通常ならば一ヶ月平均一三乗務をなし得べきところを、一ヶ月二乃至三乗務しかなし得なかつた。
右期間内の得べかりし賃金額は平均賃金三〇、六一八円の四・五ヶ月分一三七、七八一円であるところ、原告が現実に得た金額は、傷病手当金を含めて八九、七三三円であつたからその差額四八、〇四八円は原告の蒙つた損害額となる。
(2) 原告において右のような長期欠勤をしなければ得られたであろう夏季手当金の推定額は一六、一五〇円であるが、右長期欠勤のためこれが支給されなかつたことによりこれと同額の損害を蒙つた。
(3) 原告は本件の暴行を受けて後、前記の如く原田外科病院で応急手当を受けたが、四月三〇日より五月二四日迄尾崎病院に毎日通院して治療を受け、更に五月一六日より七日頃まで南大阪病院で、七月二三日より現在まで再度尾崎医院で治療を受けているがなお全治していない。原告の受傷のうち頭部以外の受傷は約一〇日間で治癒したが、頭部の挫創は五月七日に抜糸し、五月一三日に創面は治癒したが依然として当初よりの頭痛並びに頭重感が去らず、肩こり等の症状が起り医師において静脈注射、内服等の治療を継続しているけれども、事件後約四ヶ月を経過した昭和三五年八月一八日現在なおいわゆる頭部外傷後遺症といわれる症状を呈しており、その全治にはなお相当の日数を要する見込である。かかる状態において、原告は仕事の能率低下し、また、右症状のためしばしば欠勤を余儀なくされている。また、原告は本件において制服警官である斎藤巡査によつて公衆の面前で路上に頭から投げつけられた上、後手錠をかけられるという最も恥ずべき陵虐行為を受け、原告の人格に対する多大の侮辱を蒙つた。現場に居合せた一般市民でさえもあまりにひどい斎藤巡査の仕打に憤慨し、「巡査の態度は無茶だ」と口々に叫んで怒り出し、同巡査をとりまいて抗議するような状況であつた。
右の諸点において原告が蒙つた精神的損害は甚大であつて、これを金銭に評価すれば少くとも二〇万円を下らないものである。
四、よつて、原告は、国家賠償法一条一項により、被告に対し、
(1) 前記三(1)の得べかりし賃金額四八、〇四八円の内金二〇、一七九円
(2) 前記三(2)の得べかりし夏期手当金一六、六一五〇円の内金四、九二〇円
(3) 前記三(3)の慰謝料金二〇〇、〇〇〇円
の合計二二五、〇九九円と、これに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日以降完済に至るまで年五分の法定遅延損害金との支払を求めるため本訴請求に及ぶと述べ、証拠として甲第一号証の一乃至三、同第二号証を提出し証人森田正夫、の証言と原告本人尋問の結果を援用した。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、
一、請求原因の一、二の事実中、原告が旭タクシー株式会社所属のタクシー運転手であつて、その主張の日時場所において、訴外上村卯三郎と口論した事実、被告大阪府警察本部警ら二課所属巡査斎藤清丸がたまたま同所に居合わせて、原告を逮捕して南警察署へ連行した事実は認めるが、その際の斎藤巡査の行動に関する原告の主張はいずれも否認し、右逮捕が違法であるとの主張は後述のようにこれを争う。なお、原告の受傷の部位、程度、は不知である。
請求原因三の主張事実はいずれも不知である。
二、本件逮捕並びに原告の受傷の事情は以下に述べるとおりである。
原告主張日時頃、斎藤巡査は巡査溝内広とパトロールカー第一一二号車に乗務して、大阪市南区日本橋一丁目市電交差点附近を北から南へ向け差しかかつた際、同交差点中心部から約二〇米手前の市電の安全地帯の中央あたりの市電軌道内に停車中の小型タクシーから首を出して、安全地帯上の訴外上村卯三郎と口論している原告を発見した。車はやむを得ない場合の外、軌道敷内を通行してはならない(同所が軌道敷内を通行できるようになつたのは、大阪府公安委員会昭和三五年告示第一〇号道路交通法に基づき交通規則に関する公示第一八条により昭和三五年一二月二〇日以後のことでそれ以前は禁止されていた)にもかかわらず、原告は車を軌道上に停車させ、首を窓から出して市電に乗車すべく待機中の右上村と些細なことに口論し、後続の車がしきりと警笛をならして道を開けることを促しているに依然原告は車を動かそうとしないので、斎藤巡査は交通の邪魔になるも甚しいと考え、これを整理すべくパトロールカーを交叉点東側に待避させて現場に急行したところ、原告はすでに車外に出て、安全地帯の上で右手掌を振りあげ、まさに上村になぐりかからうとするところであつたので、斎藤巡査は原告のきき腕をつかんで阻止したが、原告はこれに激昂して斎藤巡査の胸ぐらを掴み、なぐりかかつてくるので止むなく原告を横だきにして待機させてあるパトロールカーに同行しようとしたところ、なおも原告が暴れるので、右横だきにした瞬間、同巡査の靴のびようがすべつて両者が道路に重ねもちに転倒したものである。原告主張の如くこれを「岩石おとし」にしたものではない。しかも転倒後もなお原告は暴れて同巡査に暴行を加えるので、同巡査はこれを公務執行妨害罪の現行犯と認め、またこれ以上放置することは交通量のはげしい右場所の交通妨害となると考え、溝内巡査の助けをかりて手錠をかけ、パトロールカーに乗せ、南署に同行したものである。
以上の次第であるから、斎藤巡査の執つた措置は、警職法、刑訴法に準拠した適法な職務執行であるし、原告の受傷は、自ら招いた結果であつて、斎藤巡査には何らの過失もない。
と述べ、証拠として、証人上村卯三郎、同斎藤清丸、同溝内広の証言を援用し、甲号各証の成立はいずれも不知と述べた。
理由
原告が旭タクシー株式会社に所属する自動車運転手をしていた昭和三五年四月二九日午後一一時三〇分頃、大阪市南区日本橋一丁目交叉点のの横断歩道停止線附近の市電安全地帯上において、訴外上村卯三郎と口論中、たまたまパトロールカー一一二号車の乗務員として現場に来合せた被告大阪府警察本部警ら二課所属巡査斎藤清丸がこれに介入して原告を逮捕し南警察署に連行したことは当事者間に争がない。
原告は右斎藤巡査が逮捕に先立つて原告に故意に仮りに然らずとするも過失により暴行を加えて傷害を蒙らしめ、且つ違法な逮捕をなしたと主張し、被告はこの点を争うので判断する。
証人森田正夫、同上村卯三郎、同斎藤清丸、同溝内広の各証言と原告本人尋問の結果(いずれも左記措信しない部分を除く)を綜合すると、右斎藤巡査が原告を逮捕した状況は、次のように認められる。
原告は、この日、自動車を運転して午後一一時三〇分近い頃、通称堺筋を南に向つて進行し、日本橋一丁目交叉点の手前市電安全地帯の内側軌道上で信号待ちのため停車しかけたところへ、その前方を右から左へ原告の車の直前を横ぎるようなかたちで訴外上村卯三郎が横断して来たのであるが、同人は原告車が速度も緩めずに軌道上を走つて来たのに立腹し原告に文句を言つたところ、原告もまた右上村が自己車の直前を横断したことに腹を立てていたので口論となり、始め原告は車の中から応答していたが、そのうち原告は遂にかつとなつて、軌道上に車を停めたまま下車して車の前を横ぎり、安全地帯附近の横断歩道上から安全地帯の上まで右上村を追つて行つて、同所で右上村の胸ぐらを掴み殴りかかろうとした。一方その頃たまたまパトロール勤務についていた被告大阪府警察本部警ら二課所属(この点は当事者間に争がない)の斎藤巡査が溝内巡査と共にパトロールカーに乗車(溝内巡査が運転)して同交叉点に差しかかり、右原告が車を軌道内に停車中のまま右上村と口論中なのを目撃して、始めは交通の妨害にもなるし、原告の車を軌道外へ出させようとして、パトロールカーを安全地帯に寄せて原告らに向い、「何をしているのか。こつちへ来い」と呼び寄せ、たまたま信号が青になつたので自己車(パトロールカー)を前進させ交叉点北東角に停止せしめた(これは斎藤巡査の指示により溝内巡査が運転してなしたもの)上、原告等の方を振りかえつたところ、原告がついて来ないばかりか、丁度、前段認定の原告が車を降りて上村を追つて行くところが目に止まつたので、直ちにこれを制止すべく原告等の方へ向つて行つた。そうして、斎藤巡査が安全地帯に到着したとき、丁度前認定の原告が上村の胸ぐらを掴んでなぐりかかろうとしたところであつた。そこで斎藤巡査は、右原告の暴行を制止しようとしたのであるが、その方法として、直ちに両者の間に割つて入り原告の振り上げている右手を振払うとともに、原告の胸ぐらを掴んで押しのけたのであるが、これに対し原告もた、突嗟のことであつたので無中で斎藤巡査の胸ぐらを掴んで突き飛ばそうとする等抵抗しかけたところ、斎藤巡査は原告の右所為を公務執行妨害罪の現行犯と認定し、即座に逮捕すべく、矢庭に原告の腰のあたりを抱きかかえるようにして原告の身体を持ち上げ(この点、証人森田正夫の表現を借りれば、大きな花瓶を持ち上げて移しかえるようなやり方で)そのまま原告を横抱き加減に引きづつてパトロールカーへ連行しようとしたのであるが、原告が逃れようともがいたため、両者の足がもつれて安全地帯から三、六メートル離れた軌道敷内に二人とも転倒したが、右の様に斎藤巡査が原告を抱横き加減にしていた姿態のまま原告の右側が下になつて二人が折重つて倒れたので、下がコンクリート敷であつたことも一因をなし、原告は頭部挫創他相当の傷害を蒙つたが、なお、原告が足をばたばたさせて逃れようと激しく抵抗するので、斎藤巡査は、倒れている原告を上から押えつけてその抵抗を抑止しつつ、溝内巡査の応援を求めて原告に後手錠をかけ、溝内巡査においてパトロールカーへ連行し、それから原告主張のように原田病院で応急手当を受けさせて後南警察署へ連行したものである。前記証人らの証言及び原告本人尋問中、前記認定に反する部分はそれぞれ措信し難く他にこの認定に反する証拠はない。
(なお、被告は原告が転倒した後になお原告が暴れるので斎藤巡査はこれを公務執行妨害の現行犯として逮捕しようとしたと主張し、原告も、原告の転倒と逮捕とを別個に主張しているのであるが、本件事案は前記認定の様に、斎藤巡査はすでに安全地帯上において原告から胸ぐらを掴まれ突き飛ばされかけたことによつて直ちに公務執行妨害罪の現行犯として逮捕すべく原告を抱きかかえたと認められるから、原告の転倒は逮捕行為に着手後のことと認められる)
そこで、右認定の状況下における斎藤巡査の逮捕行為の違法性の有無または原告の傷害に対する故意過失の存否につき考えてみることとする。
前認定の事実に徴すれば、斎藤巡査が逮捕の方法として採つた処置(矢庭に花瓶を抱える様に横抱きにして引きづつた行為)は、これに対し原告が逃れようとしてもがいたということが介在した点を考慮してもなお本件原告の転倒従つてこれに伴う受傷の原因となつたものと認められるところではあるが、しかし、同巡査は故意に原告を転倒させたことは到底これを認めることはできない。よつて原告の斎藤巡査がいわゆる岩石おとしの方法で原告を投げ飛ばしたという故意責任を前提とする主張は失当であり排斥を免れない。
しかし、本件受傷がその様に斎藤巡査の逮捕行為と因果関係が存する以上、右逮捕行為の適法性を考えねばならない。
そこでまず、右逮捕が現行犯逮捕の要件に合したものであるかどうかについて考える。右斎藤巡査が逮捕行為に着手した時点において、原告は、これより先に行いつつあつた訴外上村卯三郎に対する胸ぐらを掴みなぐりかかろうとする行為を斎藤巡査に制止せられたのであつて、右斎藤巡査の制止行為は警察官職務執行法第五条による適法な制止行為であり、右斎藤巡査が当時制服を着用(このことは弁論の全趣旨により当事者間に争がない)していたことも原告は認識していたと認められるので、敢えてこれに対し胸ぐらを掴み、突き飛ばそうとする行為に出ることは、それが原告の主観においては突嗟のことであつて、無中であつたという点を考慮しても公務執行妨害罪を構成するか少くともその着手行為があつたことは明らかである。そして、現行犯逮捕は、通常逮捕や緊急逮捕と異り、単に罪証隠滅、逃亡の虞が存する場合だけ逮捕が許されると考えるべきではなく、現に行われつつある犯罪行為を直ちに制止鎮圧してその被害を最少限度に喰い止める目的をも持つものと考えるから、前段認定の様な状況においては、万一、そのまま放置するときは、原告はますます斎藤巡査に抵抗を激しくし、ひいては、附近交通の妨害となる事態をも惹起する虞なしとしないと考えられるから、この場合、直ちに斎藤巡査が現行犯逮捕に踏み切つたことについては何らの過誤は存せず、逮捕すること自体は違法ということはできない。
しかし乍ら、国家賠償法の適用につき逮捕行為の違法性の存否を判断する場合、単に刑事訴訟法の規定する逮捕の要件を充足していれば、当該逮捕行為から被疑者に傷害を与えたとしても、右形式的適法性の存することによつて直ちに違法性を阻却するということはできない。何となれば、国家賠償法第一条にいう違法性とは、権力作用による法益侵害が法のゆるさない場合を指称すると解することができる。つまり、権力作用にあつては法は積極的に法益の侵害を認め、またある場合にはそれをやむを得ないものとして認めているが、その様な法の根拠をもたない限り、公権力による法益侵害行為は常に違法となるのであり、且つその法益侵害が許容されるかどうかは、当該権力作用によつて達せられる国又は公共団体の作用目的とこれによつて侵害される個人の法益とを比較衡量して決すべきであると考える。
従つて、およそ、公権力の行使に当る公務員は、当該職務執行に当つて相手方に与える法益侵害を右の意味での法の許容した侵害の範囲内に止める様にすべき注意義務を負うと解すべきであつて、もしその注意義務を欠いて相手方の法益を法の許容する限度以上に侵害した場合は、ひつきよう前条にいう公務員が過失によつて違法に他人に損害を加えた場合に該当する訳である。そうしてその注意義務を遵守したとするためには、単に前述の様な意味での形式的適法性(逮捕行為でいえば、刑事訴訟法の定める逮捕の要件を充足している)に頼るだけでは足りないのであつて、一般に法の運用に際して適用される人権の尊重、権力濫用の禁止、信義誠実、公序良俗違反等の諸原則から当該行為に内在する当然の法的要請にも従つていなければならないと考える。(なお、このことは、公権力の行使における当、不当の判断を誤つた場合にも当然に違法な権利侵害になるというものではない。行政機関の全くの裁量権に属する事項につき、当、不当の判断を誤つたに過ぎない場合は、それによつて生ずる個人の法益侵害は、前述の様な意味で法の許容する範囲内にあるものと解されるからである)そして、逮捕においては捜査目的達成のため人身の一時的拘束という法益の侵害は法の許容するところであるが、それ以上に進んで人身に不必要な傷害を与えることまでも法が許容しているとは到底考えられないところであるから、逮捕行為に際しては、不必要な有形力を行使して相手方に傷害を負わしめることのない様にする注意義務があり、当然この注意義務を尽さなければ違法性は阻却されないと解すべきである。
これを本件についてみれば、およそ現行犯逮捕が前記のように罪証隠滅、逃亡の防止の他に現に行わつつある犯罪の鎮圧制止の目的機能を持ち、本件の様に主としてその後者の機能を期待しての逮捕である場合は、有無をいわさず身柄を確保するのではなくて、まず出来る限りの範囲で犯行の制止、鎮圧に止め、然る後身柄を拘束すべきであり、この場合においてもその犯行を制止するに必要最少限の有形力の行使に止め、必要以上の力を加えることによつて被逮捕者の身体に不測の危害を及ぼすことのない様細心の注意を払う必要があるというべきである。特に本件現場はコンクリート舗装道路であるから若し転倒したりした場合は相当の傷害を受けることが当然予想されるのであるから、尚更路上に強く転倒したりすることのない様身柄拘束の方法につき注意を払うべき場合であつたといわねばならない。ところが、斎藤巡査は、前認定の様に原告の抵抗を受けるや、これに対し何ら制止、鎮圧の手段を試みることなく、且つ矢庭に原告の身体を横抱えにして引きずる行為に出たのであるが、その際、それが公務執行妨害罪の現行犯逮捕としてなすものであるという認識を原告に与えていないのである。前記認定の状況から、当時原告が相当興奮していたことは一応推認できるけれども、なお原告に対し、その所為が公務執行妨害罪に該る旨を告げて反省を促せば或は抵抗を止めたことも考えられるのであつて、右口頭による制止が全く期待し得ない程に差し迫つた状況にあつたとは認められないのである。また、逮捕するにしても、一応公務執行妨害罪の現行犯として逮捕する旨を告げたならば原告としても無益な抵抗はこれを止めたかも知れない。
本件の場合、原告としては自分がそのように抱きかかえて引きずられるのが如何なる理由によるものかよく理解できなかつたことも推認できる。(現行犯逮捕の場合、その逮捕に着手する旨を被疑者に告げることは法規上必ずしも要求されてはいないが、望ましいことには違いない。)そして、その様に原告に反省の機会も与えず、逮捕されるのだという自覚も与えず、矢庭に横抱きにして引きずるという様なことをすれば、原告としてもこれから逃れようとしてもがいたりすることは無理からぬことであり、ひいては本件の様に転倒するようなことも予想され得ないではないのであるから、逮捕するのであれば、逮捕術を有効に用いて原告に不測の危害を及ぼさない様な方法で原告の抵抗を制圧することができたのではないかと考えられるのであつて、本件の様な手段に出たことが真に止むを得ないことであつたという程の緊迫した状況であつたとは認められないのである。結局、斎藤巡査は、始め原告の抵抗に会つたことで当然尽すべき説得や制止の方法を抜きにして早急に且つ強引な手段によつて原告をパトロールカーまで連行しようとしたものであり、この方法は前記の様に、被逮捕者たる原告に不測の危害を与えない様にするという前記認定の注意義務を欠いた方法であると認められるのである。
よつて、斎藤巡査は、被告大阪府の公務員としての公権力の行使に当り、違法に原告に損害を加えたものというべきであるから、被告は原告の前記転倒に起因する受傷による損害を賠償すべき義務を有するというべきである。
次に原告は、右斎藤巡査が前記認定の様に逮捕に際して後手錠をかけた点において、これが公衆の面前で行われた最も恥ずべき陵虐行為であり、原告の人格に多大の侮辱を与えたと主張するのでこの点を判断する。
本件逮捕行為が刑事訴訟法上の逮捕の要件に外れていないことは前記認定のとおりであるが、前段説示のとおり一般的に言つて、逮捕すること自体が適法であつても、逮捕に際してはその目的(現行犯逮捕にあつては身柄確保の他に犯行の制止、鎮圧が加わることは前記説明のとおり)に必要最少限の処置をするに止め、いたずらに被逮捕者の人権を傷つけることのない様にすべきものであることは言を俟たない(刑訴法一条)。従つて、手錠、捕繩等で身体を拘束した状態はなるべく人目につかない様にし、また、逃走防止のための必要最少限度に止めるべきである。蓋し、被逮捕者としては、手錠等の戒具を着せられているところを人目に触れられることは多大の屈辱感を持たされ、その人格を傷つけられることとなるからである。従つて、必要以上の、換言すれば被逮捕者として通常受忍すべき程度を越えた戒具の使用を人目につくところで行うことは、被逮捕者の人格権の不当な侵害であるといわねばならない。ところで、いわゆる後手錠なるものは、通常の手錠の使用方法に比してより苛酷なものであり、被逮捕者をして前記の様な意味でのより多くの屈辱感を味わしめるものであるから、後手錠によらなければならないところの止むを得ない事情のある場合の他、濫りにこれを用いるべきではないと考える。しかし、その様な止むを得ない事情が存すれば、その場合それは被逮捕者もこれを受忍すべきものであるから、たとえそれにより被逮捕者の人格権が損われたとしても、これによる損害の賠償を請求することはできないというべきである。
そこで、本件の場合、後手錠の使用が右止むを得ない場合に該るかどうかを判断する。本件の場合、前記認定の様に原告は転側して後もなお、足をばたつかせて逃れようとしていたものであり、更に証人溝内広の証言によれば、原告のそばへ寄つて行つた同人も足を蹴られる等して、直ちに手錠をかけるのでなければ更に斎藤巡査や周囲の者又は同人に対しても危害が及びかねない状況であつたことが認められる。この認定に反する原告本人尋問の結果、証人森田正夫の証言はにわかに措信し難い。そうだとすれば、直ちに手錠を用いなければならない必要性は一応認められ、且つこの場合前記認定のように原告はうつ伏せに倒れてその上に斎藤巡査が乗つかつた状態であるから、若し、この状態から通常の前手錠にしようとすれば、一旦原告を抱き起すか、或は仰向けに転がすかしなければならない訳であるが、その様にしていては原告に時を与えて更に原告の抵抗が熾烈となることも予想される場合であるから、そのままの姿態から直ちに手錠をかけようとすれば、後手錠の方法を採つたことも止むを得ない場合であつたと認められる。そして、その場から、パトロールカーまでの距離は極く僅かであり、証人斎藤清丸の証言によれば、当時見物人が二四、五人位はいたというのであるが、原告主張の様に、右見物人等がこの仕打に憤慨して口々に斎藤巡査の態度を非難したとまでは認められない。(この点に関する証人森田正夫の証言は、証人斎藤清丸、同溝内広の証言に照らし措信し難い。)されば、本件の場合、斎藤巡査が後手錠の方法によつたことは必要止むを得ない場合であつたと認められ、これを原因とする原告の慰謝料の請求は排斥を免れない。結局、被告は原告に対して、前記受傷に因る損害のみを賠償すべきものである。
そこで賠償額につき判断するに、原告本人尋問の結果とこれにより真正に成立したと認められる甲第一号証の一及び三によれば、原告は、本件転倒によつて二針縫合を要する頭部挫創と、右上膊部打撲傷、右肘関節部挫傷、左足部挫傷、右肩胛部打撲傷の傷害を負い、昭和三五年五月二四日迄大阪市住吉区粉浜中之町尾崎病院に毎日通院治療を受け、右上膊及右肩胛部は五月八日、右肘関節部及左足は五月九日治癒し、頭部挫創は五月七日抜糸、五月一三日創面は治癒したが頭痛及び頭重感は治らず、五月二四日転医し、その後南大阪病院で治療を受けているが昭和三五年八月現在において頭部外傷後遺症といわれる不安定症状をしばしば呈し、それが同年九月末まで続いて一応終つたが、昭和三六年夏期に一回、また同様の症状が出て治療を受けたことがあり、ために、昭和三五年四月三〇日から六月末日迄は全部欠勤し、七月から九月中旬迄は通常なら一月平均一三乗務位できるところが、一月平均二乃至三乗務しかなし得なかつたことが認められ、他にこれを覆えすに足る証拠はない。
そして原告本人尋問の結果とこれにより真正に成立したと認められる甲第二号証とによれば原告の受けていた当時の平均賃金は一月三〇、六一八円と認められ他にこれに反する証拠はないから原告が五月乃至九月中旬の間全部稼働したとすればその間に得たであろう賃金は右三〇、六一八円の四・五倍に当る一三七、七八一円となるところ、前記証拠によると原告は五、六月は全部稼働しなかつたことにより平均賃金の六割に相当する傷病手当金三六、七四一円と、七乃至九月中旬は右三乗務位づつ稼働したことにより一ヶ月多くとも七、〇〇〇円づつ約一七、五〇〇円計五四、二四一円を得ていることが認められ、他に原告が取得したと自認する八九、七三三円を超える金額を得たと認めれる証拠はないから、前記一三七、七八一円より八九、七三三円を差引いた金四八、〇四八円の内金二〇、一七九円の請求は少くとも原告が本件受傷により休養したことによる得べかりし賃金の喪失額としての損害として理由があるというべきである。
次に原告は夏期手当が全額支給されなかつたのが右原告の長期休暇に起因すると主張するけれども、夏期手当の支給されなかつた原因が挙げて原告の前記休暇に帰せられるかどうかは原告本人尋問の結果を以てしてもにわかに断定し難く、他にその様に認められる証拠がないのでこの点の原告の請求は失当として排斥を免れない。
次に原告の慰謝料の請求は、結局前記の様に本件受傷を原因とするもののみにつき認められるところであり、前記認定の様な本件受傷に伴う長期の稼働能力の低下と後遺症を考えれば相当の精神的苦痛を蒙つたことは認められるが、一方本件受傷が前記認定の様に、そもそも原告の訴外上村卯三郎に対する口論に端を発し、その際、軌通内通行が禁止せられていると否とに拘らず、いやしくも自動車運転手として夜間一一時三〇分とはいえ、堺筋日本橋一丁目交叉点という大阪市内でも有数の交通の激しい場所で軌道内に自動車を停車したまま車外に出て口論したりすることは他の交通に著しい迷惑を及ぼす行為であつて厳にいましむべきであるのにこれを敢てし、加えて同訴外人に暴行を加えんとした著しい非行が間接の原因となり、且つ又直接には、右行為に対する制服警察官の適法な制止行為に対し敢えて抵抗しようとしたりしたため、同巡査を憤激させて前記認定の様な強引な逮捕方法をとらさせるに至つたものと認められ、原告自身がこれを誘発したことも一応認められるので原告にはこの点の慰謝料として金五万円を支払うをもつて充分と考える。
よつて、被告は原告に対し金七〇、一七九円とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であること記録上明かな昭和三五年一〇月一日以降完済まで年五分の遅延損害金の支払をなすべき義務があること明かであつて、原告の請求は右の限度において理由があり、その余の請求は失当として排斥を免れない。よつて訴訟費用につき民訴法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言は相当でないのでこれを付さないこととして主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江菊之助 裁判官 潮久郎 裁判官 元吉麗子)